誉田別命(ほんだわけのみこと)
誉田別命は、第十五代応神天皇の御名(いみな)として知られます。母君である神功皇后に伴われて筑紫から大和へ進み、のちに即位されました。
当代の伝承には、朝鮮半島からの渡来人や諸技術の伝来が語られています。
御代には国の基をととのえ、産業や文化を興し、人々の暮らしを豊かに導かれた御威徳が伝えられております。
また、八幡信仰は宇佐神宮に起こり、国家鎮護の信仰として中央へ展開して参りました。
平安期には京都男山の石清水八幡宮への勧請(859年)を契機に崇敬がいよいよ広まり、武家の信仰(「弓矢八幡」)としても全国に浸透して参りました。
このように誉田別命は、国をととのえ、世を守り、勝運・守護へとつながる御神徳をもって篤く崇敬されてきました。
竹内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)
竹内宿禰命は、古くより幾代の天皇にお仕えし、朝廷を支えた忠臣として名高い神様です。智恵と誠忠をもって政(まつりごと)を補佐し、国を安んじ、人々の暮らしを守り導かれた御神徳が語り継がれております。
神功皇后をお支えになったことでも知られ、三韓征伐の折には行軍をととのえ、事の成就に尽くされたと伝えられます。
さらに竹内宿禰命は、家内安全・健康長寿・厄除け、そして仕事や学業の成就など、日々の生活に寄り添う御利益を仰がれてきました。長く国に仕えたその御姿になぞらえ、奉仕・勤勉・継続の守り神としても信仰されています。